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皆さんは、北海道南西沖地震(平成5年)を憶えているだろうか?

マグニチュード7.8の地震が起きた直後大津波に見舞われ、矢継ぎ早に第2第3の津波が押し寄せ、その後に出火した火の手が町全体を覆ってしまった。
その何倍もあるこの度の震災とは比べるべくも無いのだが、それでも死者が200名を超し、未だに遺体が戻らない行方不明者も多数出た平成以降の北海道では類を見ない惨劇だ。

青苗地区

当然のこと新聞やTVのニュースは連日この震災を流し、そして日本国中から奥尻島という小さな島へ救援物資が送られてきたのだが・・・・・

先日のテレビ番組でも放映されていたのでご存知の方もいるかと思うが、その救援物資の量たるやハンパな量じゃない。
かるく小学校の体育館がパンパンになるくらいの膨大な量の物資が、あっという間に送られてきた。
当然それらを仕分けするにも人員が割かれ、郵便物としての配送と仕分け作業担当者が何日間も忙殺される始末。。。
また表沙汰にはならなかったが、その荷物の中で本当に始末に負えなかったのが、ボロボロのどう見ても雑巾にしかならない衣類や救援物資としては首を傾げたくなるような大型の荷物。
クサイ臭いの染み付いた子供用の衣類やあきらかに壊れている玩具などなど・・・・

救援物資の担当者は「全て皆さんの善意ですから・・・・」と言いながらも捨てる事も出来ずに困惑を隠せない様子。
これらはハッキリ言って、心無い輩が体よく不要になったゴミを送りつけただけのこと。
それも、数日前に多数の肉親や友人を亡くしてもなお、これから立ち上がろうとしている島民に対してだ。

呆れるほどの酷い人間性を“善意”と称してこの奥尻島へ押し付けたのだから、ボクがこの話しを聞いたときには言葉が出なかったのを覚えている。

だが、そんな酷い人ばかりではない。
凡そ99%の人々は、心から奥尻島の復興を願い救援物資という“愛”を送ってくれたのだ。
その中のエピソードとして、奥尻島の対岸にある乙部町の話がある。

乙部の風景

それは津波に襲われた翌日からイカも解禁となり最盛期ともいえるこの時期に、浜の漁師達は一斉に救済にあたった。
もちろん誰一人としてグチなどこぼすことなく彼らが知り尽くす日本海を何日もの間、行方不明者を探し続けたのだ。
そして彼らを送り出す港では、誰かが声を掛けたワケでもないのに浜のお母ちゃんたち全員が駆け出し、それぞれの腕にいっぱいのお握りやらタラコやらお茶に缶ジュースを抱えて「これももってげぇ~!!」と、毎日遠い海の向こうで困っている人々へのお届け物を渡していた。
「同じ漁師だべさ!」と、友人でもない顔見知りでもない人々へ毎日“人としての愛”を届けていた乙部町の漁師達と浜のお母ちゃん。
どちらもどこかに必ず温かさが滲み出ている人たちだ。




そんな彼らに見習って、ボクもこの度の東日本大地震で被災に遭われた方を、物質的にもメンタル的にも助けてあげられたらなぁ・・・・と強く思う今日この頃でした。









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