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それは先月の事・・・・・

ある朝、一匹の野良猫が市場の罠に掛かってしまった。

その子は毎晩のように、市場の中卸問屋さんの中に忍び込んでは悪さをしていた。
そして明け方、社員の出勤時間よりもやや早くその場を離れるのだが、なぜか帰り際にはシャッターの真ん前にウンチをして帰ってゆく。

・・・・これがけっこうクサイ(汗)

毎日ウンチの処理をする社員の皆さんは怒り心頭。
この野良坊とて、見つかったらただでは済まない。
なにせエアーガンまで持ってくる社員もいるのだから・・・・

たまりかねた社長さんが市場の管理事務所にお願いして、函館市の保健所からネコ用のボックストラップを借りてきた。
エサは奮発して、マルハのちくわを1本丸ごとトラップ台の中に仕掛けたそうだ。

翌朝・・・・

「フェェェゥゥゥゥゥゥウ~~~~~ッ!!!」

野良猫のトラ次郎(仮名)はマルハのちくわに誘われて、まんまと檻の中に入れられてしまいました。

社員の皆さんは出勤早々ご満悦な顔でトラ次郎を睨み付けます。
「ハァゥゥ~ッ、ハァゥゥ~ッ!!」と威嚇し対抗するトラ次郎ですが、時すでに遅し。
頑丈な鉄の檻の中からはどうする事もできません。
檻の端に身を寄せ、体を最大限に小さく丸めて震えるしかありませんでした。

ここまで来ると、あとは保健所へ強制送還された後、数日間の拘留期間を経て運よく保護観察者が見つかればそのまま執行猶予を言い渡されるのだが、凡そ95%は死刑宣告を受けるのである・・・・





だが、我等お魚屋さんはそんな冷酷無比なヤローなんかじゃない!
口は悪いし、見てくれもゴロツキ紙一重(笑)
いつも大声で怒鳴っているか酔っ払っているかの“おっかない”な生き物なんだけど、心根はとっても温かいのである。

このトラ次郎、このままでは殺されるってことは先刻承知なもんで、魚屋さんらがお願いし管理事務所のオッサンらで遠く離れた緑の島に運ばれ放された。

まだ幼さが残る顔つきのトラ次郎だが、殺されるよりはあの広大な空き地へ放された方がマシってもんだろう。
まだまだ寒い日が続く函館だけど、なんとか生き延びて元気に育ってほしいもんだ。

・・・・と、運ばれてゆくトラ次郎を見送りながらボクと魚屋さんで話していたんだけど、今朝になって何者かが問屋さんの前でウンコを放置したらしい。
しかもそれは、細くて少量でケツを拭いた紙はない。






・・・・・トラ次郎、オマエやるなっ♪












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大好きだった大先輩が亡くなったばかりだというのに、関東の友人までが逝ってしまいました。
ずいぶんお世話にもなりましたし、恩返しもまだ出来ていないというのに・・・・
亡くなられた友人が、最後の最後までフライロッドを握っていたことが、釣り人としての彼の人生を物語っていたように思います。


毎日のようにボクのブログを見に来てくれていたから、今日はアナタへ手紙をしたためました。




-天国に行ってしまったタケさんへ-


毎年タケさんらが来るのは4月の北海道日本海だったね。
まだ寒くて海もシケが多いから5月においでって言ってるのに、会社の都合とかあって、やっぱり4月になってたね。
手が悴むほど寒い朝でも、浜辺に立って懸命に竿を振っていた姿は今も胸に焼き付いています。
タケさん、いつもキレイなループでフライを投げてたもんね。
いつかは必ず釣れるって、信じてたんでしょ?
ボクだって信じてたよ。
でも、不整脈の岬では、ようやくタケさんのフライを咥えたアメマスを、リトリーブしていた手で指差しちゃって「デカイ、デカイ」って騒いだけれど、タケさん見とれてしまってフッキングするの忘れてたんだよね。
アレは相当デカかった。

そう言えば、いつも通っていた磯場の岩盤の上で、タケさん仰向けにコケて、その体の上を波がまともに通過していったこともあったっけ。
みんな笑って、びしょ濡れのタケさんもつられて笑って、いつものテレ笑いで「いやー、やっちゃいました」って言ってサ。
ねぇ、タケさん憶えてる?
松前海岸でやらかした全部のハプニングをちゃんと憶えてくれてる?
ボクは今でもハッキリと思い出せるんだよ?
でもね、そんなおっちょこちょいのタケさんだから、タケさんの周りのみんなはいつも笑顔が絶えなかった。
釣りの旅をいつだって楽しくしてくれるためのエッセンスをみんなに与えてくれて、本当にありがとう。

優しい笑顔のタケさん

いつも民宿での夜はボクに付き合ってくれて、フライボックスを広げてはビールを片手に話し合ってたこと。
正直、ボクでさえキツかった崖の上り下りなのに、必死に付いてきてくれたこと。
皆にはナイショだったあのポイントで、大きなアメマスが追いかけてきて、夢中になって竿を振り続けていたこと。
色々あった全部のことを、ボクは絶対忘れはしないよ。
タケさんと過ごした時間を、ボクは一生忘れはしないよ。

だけどね、タケさん。
ボクは一つだけ謝らなきゃならないことがあったんだ。
いつも別れ際にはボクの方から「次こそはサクラマスを釣らせますからっ!!」って言って約束したじゃない?
タケさん優しいから、いつもどおりの笑顔で「また来ますから・・・」って答えてくれた。
あの日も「また来年、必ず来る」って、タケさん握手で答えてくれたんだよ?

ゴメンね、サクラマスを抱かせてあげられなくって。
本当にゴメンね。
あんなに約束したのに・・・・・
「来年は絶対釣らせるんだ!」って約束破っちゃって・・・・

タケさんが旅立つ前夜、ボク宛にくれたイワナ達の写真は、ずっとしまっておくから。
タケさんが浜辺に立って投げている写真も、ずっとしまっておくから。
だからタケさんがくれた、いつかのサクラマスのためのフライだけデスクの一番端っこに飾っておいてもいいかな?
せめてもの懺悔でサクラマスが釣れたなら、一番にそのフライへ報告するからさ。
ねぇ?いいでしょ?
きっとタケさん、いつものテレ笑いで読んでくれているんだろうから、ボクが勝手に約束するからね。

タケさんが大好きだった岩盤

それと、もう一つ。
最後にこれだけはハッキリと言っておかなきゃ、ボクの気が済まないんだ。
いつもやさしく接してくれたタケさんだったけど、この際だから言っておくね。







「早すぎだよ、バカヤロー!!」
「どんなに謝ったって、オレは絶対許さないからな。」









全国各地を飛び回り、その先々で魚と戯れていたタケさんの人生が、とても幸せなものだったとボクは信じています。

どうか安らかに・・・・・










18日早朝のメールから、思い詰めてばかりいる・・・・




番長、アナタはいつも優しい笑顔で話しかけてくれましたよね?

番長はいつだって包み隠さず、いろんなことをボクに教えてくれましたよね?

前浜で二人並んで竿を振っていたあの日、トレードマークの口髭を笑顔で掻きながら話し込んだことはボクの大切な思い出です・・・・・

いつかのイベントの日には重機を操縦して、皆を助けてくれました。
霧雨降る初夏の小鶉では、キレイなヤマメを釣っていらっしゃいました。
毎年北風が吹き降ろす頃には、番長は誰よりもおっきいアメマスを釣っていましたよね。







思い出すたび、涙が止まりません・・・・・







番長、早すぎですよ・・・・・

ボクはお別れの言葉なんか言いたくありません。







アナタを必要としている人間がこんなにも居るというのに・・・・











今まで、本当に有難う御座いました。

そして、これからも宜しくお願い致します。












どうか、安らかに・・・・・














彼らと出会ったのは、ちょうど昨年の今頃。
ヒョロヒョロの体で精一杯走り続け、懸命にボールを追いかけていた。

技術といえる物など何もなく、指導されるはずの彼らにはキチンとした指導経験者がいなかった。

不安な日々の練習、自分が上達しているのかさえ分らずじまいの毎日。
チームはいつだってチグハグで、ボールを持てば即シュート。
誰かが放ったボールで、点数が入るか入らないかだけが彼らの基準となっていた。

唯一ハッキリ分ること、それは「やっぱりバスケットが好きだ!!」これだけだった。

現役を過ぎたボクラがこのチームを指導するには十分過ぎるほどの理由だ。

ポンコツの腰とスクラップ同然の左ヒザ、両足首はいつも捻挫の繰り返し。
体の自由が利かなくなったコートの上で、一人一人の個性を伸ばし体当たりで教えてきた。
マンツーマンのディフェンスは、打たれる前にコースを潰すこと・・・・
ゾーンプレスを掛けられたら、スペースを作ってあげること・・・・
スクリーンには、オフェンス・ディフエンス両方共にコンタクトを取ること・・・・
ポストプレーにはお互いがタイミングを図って・・・・

シュパッ!

この短い時間の中で、一体どれくらいのモノを彼らに残せただろうか。
いつも輝かせていたその瞳には、教える側も教えられる側もバスケットの本当の楽しさが表れていた。
だから、コートを行き交うオマエ達の汗は、決してムダではなかったと信じて欲しい。
付け焼刃なんかじゃない、いままで培った自分のスタイルに自信を持って戦って欲しい。

「ゲームを楽しむことを忘れるな!」
「おもいっきり暴れて来い!!」

それが彼らへ教えた最後の言葉だった・・・・


-中体連 (平成22年北海道函館中学校体育大会、バスケットボール)-

レギュラーとなれる人数が7人しか居ない、部員不足で万年最下位チームの目標はベスト4入り。
初戦敗退が濃厚視され、どこの学校にも注目されてないオマエたちだけど、オレだけは勝てると信じていた。
そこいらの学校じゃ教えてくれないことを、そのユニフォームには沁み込ませてあるんだから・・・・

午後遅く、仕事場で携帯電話が鳴った。
ゲームが終わっても、敢えてボクから聞くことはしなかったから。
正直、彼らを失意に落とすことになってしまったんじゃないかという、恐怖心もあったのは確かだ。

結果ベスト4入り。
電話の向こうでは誰もが喜びを分かち合い、ボロボロの体を引きずりながらも自信に満ち溢れていた。

翌日、満身創痍で望んだ準決勝では50点の大差を付けられて敗退。
彼らの中学生活最後の大会が終わった瞬間だった。

生意気だったどの顔にも涙が溢れている。


「下を向くな!」
「胸を張れ!」
「勝つことを知らなかったお前たちが、ここまで頑張ったんだ」

そう電話の向こうに伝えることが、その時のボクには精一杯だった・・・・






お墓参りを済ませ、何か自分の中で納得した気分になり、凡そ普段の生活からは辿り着くはずのない接点が見付かった充実感に浸りながら、新潟市内への帰路に着こうと車に乗り込む。
そんなタイミングで、住職から声が掛かる。

「KABUさん、最後にKABUさんらの街を見学して行こうじゃないか」

迷うものなど何も無い。
ボクの代々繋がってきた家系の全てが築かれた場所だ。
これは、ぜひとも見ておかなければならなかった。

住職が走り抜ける道路は、車一台がやっとといった幅しかなく非常識なほど狭い道なのだが、ボクが幼い頃に度々暮らしていた祖父母の街の風景とまったく一緒で、懐かしさがこみ上げてくる。

昔のメインストリート・・・

向こう三軒両隣が親戚のようなもので、「作りすぎたから」と、夕飯のおかずを配り歩いたり頂いたり・・・・
そんな祖父母の街の雰囲気が未だに残る街並みだ。

「ここですよ」
車を停めた住職が、驚いたことを語りだした。

KABUの集落跡地

「ここいら辺は、みんなKABUだったんです」
「そうですね・・・、40件くらいはあったはずですよ」
「そうです、みんなKABUの姓です」
「結局は能登の町から流れてきて、そこからKABUの本家が出来た」
「その本家から分家が出来て、その分家からまた本家と分家が出来て・・・」
「まぁ、200年くらいの間にそれだけ広がったんでしょうなぁ」
「だからこの辺ではKABUの町名を木折町1区・2区と分けていたくらいです」
「いまでもその名残で、町名だけが残っとるんですよ」

まさか、ボクの一族とも言える血族がそれほどまでに多く居たとは思いもよらなかった。
話の内容ではその後、北海道に開拓民として国の政策で送り込まれ、そのまま全道散り々りになった家系や、着いた先でニシンやイカなどの豊富な海洋資源を糧に漁業を始めた家系(ボクの家系)、もう一方の関東方面(主に横浜)へ流れ、戦争でこれまた散り々りになってしまった家系と、3つの班に別れこの地を離れたのだという。

それぞれのグループには親戚や兄弟などの繋がりはあるらしいが、同じ出身地としてのKABUという繋がりはとうに消えているという。
まぁ、当たり前といえば当たり前なのだろう・・・・

小粋な看板発見!

いつまた訪れるかも分からないし、しかし必ず再び来なければとも思える中で、ノスタルジック漂うこの街の雰囲気が大好きになっていた。
幻想的な不思議な時間へと引き戻されるここの空気に、いつまでも触れていたいと強く思う・・・・

そしてこの「trip to the my roots」シリーズの最後に、今回ボクが感じた最も不思議な出来事を書き記しておきたい。
あまりに非現実的であり、非科学的な出来事だったので、ある種ファンタジーな空想だろうと言うことにして欲しいのだが・・・・



程よく酔っていた父親が、こんなことを言っていたっけ・・・・
「父さん子供の頃な、1度だけ出雲崎に行ったんだ」
「爺さんの実家ってのは海に向かって細長い造りの家でな、一番奥の部屋の床が扉になっているんだ」
「そこを開けると階段が付いてて、波打ち際まで一直線だったよ」

そう言って父親が笑っていたことを思い出していたときだった。
「キャー」とも「ワー」ともつかない子供たちの歓声が右の耳だけに聞こえてきた。
「アレ?」「耳が変だ???」と思い歓声の方へ振り向いたのだが、子供らの姿は無い。
聞こえて来た先には狭い小路地が抜けているだけ・・・・
不審に思いその路地を覗き込んだら、湿気の強い生温い風が吹き抜けていた。
しかしそのときボクははっきりと、3~4人くらいの子供達が、真夏の海へ駆け出して行く姿を感じることが出来た。
おぼろげだが、裸足でかけていくクリクリ頭の子供等の一人が僕に向かって振り向き、「ニッコリ」と微笑んだような気がする。

「泳ぎにいくのかい?」
「気を付けなよ、直ぐに暗くなるからね」

そんな会話を交わしたような、ただただ彼等を見送っていたような、ハッキリとしない意識の中で「またね!!」と返事が帰ってきた気がする。

それは僅か2~3秒の出来事だったのだろう、住職の声で「ハッ」と我に返ると、寒々しい季節の中で灰色の海の向こう側に佐渡島が見えていた。

あの頃、ボクの先祖達が見続けてきた佐渡島が、今も変わらずに見えていた・・・・

佐渡島まで見えた路地で・・・・


とても感慨深いお話を語ってくれた住職が、不意に窓の外を眺めて
「KABUさん、雨が止んだようだ。」
「曾お爺さん達に会いに行こうか。」
そう言うと、僕をお墓のある場所まで案内してくれた。

雑木林を抜けると、古びたお墓がいくつか立ち並んでいる。
どれもこれもとても古く、傾き、崩壊寸前のものさえある。

「コチラがアンタさんのご先祖さんだ」

招かれてみた先には、苔むして相当な歳月が経っていることが一目で解る墓石があった。
事前の電話では、墓場その物が古いため、かなり損傷の酷いお墓があること、いったい誰のお墓であるのかすら解らない物さえある事等を聞いていたため、ちゃんとしたお墓としてその場に建っていてくれただけで、なぜだろう感謝とも感激とも寂しさとも付かない不思議な感情に包み込まれた。

KABU家発祥の地にて、墓前に立つ

「KABUさん、向こうをごらんなさい」
「日本海が一望できて、向かいの佐渡島がハッキリと見えるでしょう?」
「その昔は、ここが一等地だったんですよ」
「だがね、この土地は物流が相当悪い土地だった」
「だから昔の人は墓石を買うことも出来なかったんです」
「それで、あの海から大きな石を拾ってきては墓石の代わりにしたんです」
「どうです?あちこちに苔がついてるでしょう?」
「これがこの土地の漁師の墓なんですよ・・・・・」

墓石に刻まれた明治三十三年七月二仁左衛門の文字に、ボクの祖々々々父がこの地で懸命に生きていた証があった。
見たこともないボクの先祖が、ボクをこの世に存在させた確固たる血がそこにはあった。

仁左衛門爺ちゃん

そっと墓石に触れたとき、そこに繰り広げられていた生活史がボクの脳裏に浮かび上がる。
それはまるで、自分の幼少期にここで過ごしていたかのように鮮明で、しかし、あくまで空想でしかない不思議な世界・・・・・

ボロボロの浴衣のような格好で棒切れを振り回し、大人たちが働いている姿を見つめている子供達・・・・・
真っ白な砂浜で、今にも壊れてしまいそうな船を大事に直す男達・・・・・
薄暗い家の土間で所狭しと動いては、夕飯を作る女性達・・・・・

そんな時代の中で、ボクの先祖達は何に幸せを見出し、何を歓びとして暮らしていたのか。
つつましくも全てが必死だった彼等の生活・・・・

今のボクに出来ることは、お花を添えてひたすら感謝の気持ちを伝えるしかない。
こんなデキの悪いボクが生まれ育ってしまったことに少しだけ恥ずかしさを感じながら、墓前で静かに手を合わせた。
傍らでは住職がお経を唱えてくれている。

突然やってきた数十年ぶりの訪問者として、曾々々々孫に、仁左衛門ジィちゃんもビックリしたことだろうが、それでもきっと喜んでいることだろう・・・・

細い石畳の小道を上がると、大きなイチョウの木がボクを出迎えてくれた。

この坂の上に・・・・

立派な本堂に繋ぐ長い渡り廊下の奥から、
「あなたKABUさんかい?」
「やぁ、よくいらっしゃってくれました。」
と、優しい笑顔で住職が顔を出す。
訪れる人もまばらなお寺で、見知らぬ客を温かく迎えてくれることに少なからず安心したボクは、小さな囲炉裏を前にKABUの祖先にあたる人物などのお話を伺ってみた。

伊勢町

ここは、新潟県出雲崎町伊勢町の外れ。
凡そ、数百人ほどの小さな漁村は、目の前に広がる日本海と急勾配の山並みにはさまれた、ありきたりの細長い街。
街を吹き抜ける風はどこか冷たく、道路を歩く人もまばらで、高齢化と過疎化が見て取れるほど寂しい街だ。

少し肌寒いお寺の中で、小さな囲炉裏がパチパチと炎を揺らしている。
住職がポツリポツリとこのKABUの一族にまつわる古い話を語ってくれた。

一番記憶に古いのは仁左衛門という人物で、この町で手広く漁業を営んでいたという。
漁船も数隻あり、多数の若い漁師達を束ねていて、今で言う“網元”だったらしいのだ。
もちろんその時代では、整備された道路や自動車などはあるはずもなく、手押しリヤカーにより資材を運び鮮魚を運搬していたという。

出雲崎の海

そもそもKABUの末裔とは、どこから来たのか?
元々が漁業者としてこの世に根付いていたのか?
そんなボクからの疑問に深くうなずく様な仕草で、住職は語りだした。

「戦国時代から安土桃山時代にかけて、世に多大な影響を残した武将織田信長の時代(1550年代)にまで遡るのだが、そこでの宗教対立(禅宗vs門徒)により合戦に破れ、遠く石川県の能登からこの出雲崎まで流れてきたのだ。」と言う。
また、「そもそも苗字があり〇〇左衛門や〇〇之介などの名前が付けられている場合、武士の家系であることが多く、農家や漁師、家主の使用人などには一般的に苗字は無かった」とも付け加えてくれた。

「いいかい?KABUさん」
「武士が戦いに敗れて、逃げ延びた先々で山賊なんかに成り下がっちまうヤツらがたくさん居た中で、アンタのご先祖さんは立派に自分等の家系を守ったんだ」
「自分等の“KABU”って血を、今の今まで受け継いできたんだよ」
「決して楽に生き延びてたワケじゃない」
「それでも血を絶やさぬってことが、今のアンタが生きていれるってことなのサ」
「だから自分のルーツを探るってことは、時にご先祖さんの苦労を知り、感謝するってことなんじゃないのかい?」

囲炉裏の中で揺らめく炎を見つめながら、興味本位だけではないにしろ、何かドラマチックな物語を期待していた自分を見透かされたようで、ボクは深く頭を下げることしかできずにいた。

外の土砂降りが幾分弱まりをみせるように、雨音が止んでいた。
静かな雨上がりの午後だった・・・・・








ルーツ 【roots】 
[1] 根。根元。
[2] 物事の根源。起源。
[3] 祖先。

先日、思い立って自分のルーツを探る旅に出た。
自分(祖先)はどこから流れ着いて、何をしていたのか。
自分の血をさかのぼり、検証可能な限りの史実を紐解いてみたくなったのだ。
そのキッカケは、オヤジの「爺さんは新潟の生まれなんだ・・・」から始まった。
ほろ酔い加減の父親から聞く昔話にいつしか深くのめりこみ、頬を赤らめ饒舌になった口元に、会えるはずも無い祖々父や祖々々父の面影をどこか探している自分に気が付く。
僕の知らない親族が暮らした土地、毎日の生活を奏でた浜風、生きていくのがギリギリだったその時代、聞き出した全ての史実をこの目で確かめたくって、ここへ降り立ったのだ。

空港到着!


事前情報としては、祖先が眠る寺院の名前と、その土地の役場から取り寄せた戸籍謄本だけを握り締め、レンタカーを走らせてみたのだが、不思議と目的地の所在があやふやなままの現実とは裏腹に、初めて訪れた町並みや道路事情などにも臆することなく、どこか「必ずたどり着ける」という、根拠不明な安心感があったことは確かだ。
それは漠然とした感覚なのだが、ナビが指示する僅か前には「コッチかな?」と閃いてしまうのである。

コッチへおいで・・・・?

・・・・馬鹿げた話だろうが、「導かれている」と表現したほうが当たらずとも遠からずと言う具合だった。
まぁ、地図上でも新潟市内からほぼ直線的に南下するだけのドライブだったのだが、アスファルトなんて無かった時代、この道を馬車と列車で往復した彼らを想像するだけで切ない想いが湧き上がる。
道中の食事はどうしたのだろう?
靴(履き物)はしっかりとした物を履いていたのだろうか?
夏の炎天下、真冬の吹雪、そのとき彼らはどんな思いだったのか?
今の時代に不自由なく生活している自分が恥ずかしくさえ思えてくる・・・・
そんな申し訳なさと始めて訪れる街への期待感とが混在する中、ナビが到着を示すアナウンスで知らせてくれた。

目的地到着です

そこは、新潟県三島郡出雲崎町。

紛れも無くボクのルーツがある町だ。
最近では、異色の黒人演歌歌手ジェロの海雪で「アナタを追って出雲崎~」と歌われている場所で有名である。

車を停めて辺りを見回し、そこから感じ取れる雰囲気は寂れた漁村と言う以外には何も無く、酷く沈んだ面持ちでボクを迎え入れてくれた。

父親が言っていた「海以外には何も無い街さ・・・・」の言葉が脳裏に浮かんでは消えてゆく・・・・

さて、どうしたものかと思案した挙句、とりあえず寺の住職に挨拶にでもと再び車を走らせる。
案の定、ものの数分でお目当ての寺を見つけられた。
やはり、何かがボクを呼んでいるのだろうか?
少しミステリアスな気持ちのままに、お寺へ続く階段を歩き始めていた。
奇妙な胸騒ぎと好奇心に支配されてしまったボクは、迷うことなくお寺へ続く階段を歩き始めていた・・・・













そこは函館近郊を流れる人気河川。
釣れる魚はほとんどがイワナなのだが、とにかく気難しくって、難易度的には周辺河川ではトップクラスなのだが・・・・

スレスレイワナ

今からもう10年以上も前になるだろうか。
「日中、ここでライズを取れたらB級ライセンス取得だね」と、友人達と代わる代わる訪れていた頃、仕事が早めに終わり、昼過ぎからこの川で釣っていた。

入渓点から出渓点までの間で凡そ1.5km位だったと思う。
そのちょうど真ん中には浅くフラットな大場所があり、沢水が流れ込んでいた。
ボクのイブニングポイントでもあるその大場所に陣を構えたのは午後6時半頃。
あと15分もすればアチラコチラでリングが広がる。
風も無く薄曇だったその日、渓全体が何かに怯えるように押し黙っているような雰囲気だったことを今でもはっきりと覚えている。

物の怪リバー(イメージ)

いつもこの時間になると、仕事を終えた友人等が声を掛けてくるのだが、生憎こんな日に限って誰も来ない・・・・

実はこの日、川を渡っている最中やポイントを前にしたときに、実体の無い大きな蜘蛛の巣が張り付いてきたような、瞬間的に体の周りの湿度と気温と気圧を変えられたような、なんとも表現しがたい体験を繰り返していた。
もともと、そっちの気があったからなのか、過敏に反応することもなく無関心を装いながらやり過ごそうと思っていたのだが・・・・

物の怪イブニングプール(イメージ)

視界の隅で、誰かが立っているような気がして友人かと思い振り向くと、お約束ですね、誰も居ない(笑)
そんなことを4~5回も繰り返すと、非常にヤバイ気がしてきた。
なぜなら最初の頃よりも、視界に映る影が明らかに近づいてきているから・・・・・
さすがにここまでくると、恐怖心が大きくなってきます。
この後の展開を考えれば、幾分明るさが残っているうちに帰った方が簡明でしょう。
もちろん、ボクもそのような行動に移りました。

しかしその時!!

あからさまにダンを食ってるような、大きなライズリングが目に留まる。
ボクの突っ立ってる3メートル後ろは物の怪の気配バリバリ。
でも、目の前5メートルは大イワナの「ごっつぁんライズ」の気配バリバリ。
釣師の悲しい性ですね、打つか逃げるかをラインを引き出し、フォルスキャストしながら考えてしまう。
とりあえずフライを入れた刹那、「・・・・・・フハァァァァ」と、なんとも表現しがたい溜息とも言えない生暖かい吐息を首筋に掛けられ、しかもはっきりと、同時に発せられた唸り声のようなものまで聞いてしまったのです。
コレに飛び上がるほど驚いたボクは、何事かを叫び散らしながらフライを引きちぎり、足元もおぼつかない中を必死に出口まで向かい、逃げるように国道に出たのです。

辺りは真っ暗になってしまい、時折通過する車のヘッドライトがそのときのボクにはとても有難かったほどです。

車まで向かう途中の道端で、今自分の立っている地点の雑木林を挟んだ対角線上に例のプールがあることに気付き、自ずと足早になったときでした。
車のライトに反射するビニールの塊を見つけました。
何気なく見渡してみると、それは「死亡交通事故現場」の看板の周りに添えられた真新しい菊の花束が・・・・
もう、そこからはあまり覚えていません。
全速力で帰路に着いたことしか記憶に無いですね。

その後、精神に病を抱えている方が、夜中に家を抜け出してしまい、その場所で事故に遭い亡くなられた事を聞きました。
また、同様の場所で路外転落してしまい、心臓マッサージされながら救急車に乗せられた初老の男性を見たこともあります。

今では昼間でも近づかない真夏の「リバーサイド・ストーリー」でした・・・・・












景気の動向が依然として定まらない昨今。
商売を通して様々な人々にで逢う。
そんな中、古い友人が同業の商売を始めていた。
なじみの顔が懐かしく、すぐに酒を飲み昔話に花が咲いた。

しかし、これがすべての始まりだったんだ・・・・・・・

店内では、彼は巨大キャピタルの端くれとして活動していると聞いた。
当然のこと、マーケティングの大きさも伺える話しぶり。
こんな片田舎で商売をしている俺には、彼がどこかしら輝いて見えていた事は確かだ。
正直、羨ましかったのだ。

そんな折、彼から仕事の話が舞い込んできた。
とても大きな仕事であったし、やりがいのある仕事でもある。
もちろん見返りだって相当なものである。

自分で見つけたビジネスに、前後不覚なまでに奮闘した。
飯が食えないなんて当たり前。
企画設定・サンプリングからモニタリング、プレゼンの内容にまで話が及んだ。
文字通り、朝も夜もない。
なんとかして成功させたかった。
「青二才の俺が、周囲に認められるチャンス」と、彼もハッパを掛けてくれる。
本当に必死になった。

しかし最後の大詰めで、GOサインの直前で、一つだけ、たった一つだけの小さな不安が頭をよぎる。
そこがクリアーにならなければ、これ以上の仕事の展開は危険だと思い留まったんだ。
ギリギリのもう一歩という所で冷静さを欠いていた自分が、いきり立つ自分に平常心を呼び戻してくれた気がする。

結果は、危うく1千万を超えるほどの負債が転がり込むところだった・・・・・・

直前に思い留まっていて、ギリギリのラインで防衛線を張っていて、何よりも周囲を巻き込む前で本当に良かったと思う。

果たして、彼は最初から罠を仕掛けていたのか、それとも流動的にマイナスの方向へ向かってしまったのか原因は定かではないが、その後、彼からの連絡はまだ無い。

この一月、振り返れば被害総額と言えるものは彼と飲んだ居酒屋の飲み代と、得体の知れない高揚感に囚われた俺の時間くらいなものだろう・・・・・

ビッグビジネスとは、どこにトラップが仕掛けられているのか解らない魔物の住み着くジャングルのようなもの。
安易に踏み入れることがどれほど怖いものなのか、身をもって実感したこの一ヶ月。
虚脱感がまとわり付いたこの部屋で、嫁を泣かせなかっただけでも良しと思わねばならないのだろう。

さぁ、明日からはいつものボクとして釣りに行こう。
ふがいない若造が、少しだけ大人になれたんだ。
愚痴を聞いてもらいに川へ行こう。
すべてを流れに任せ、沈んだ気持ちもすべて押し流してもらおう。
いつだってそこには水が流れているのだから・・・・・・


憔悴の果てに見た思い出の夏




















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プロフィール

KABU

Author:KABU
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